● 再会

「あれは、我らの月ではない」
「何……？」

言葉を交わしたのは、何年ぶりだろうか。
ゴルベーザは、すぐ隣に立っているカインに目を遣った。
長く顔をあわせていなかった間に、カインの身形は変わっていた。蒼い鎧は輝きを放つ明るい色へと変化しており、竜を象った仮面の代わりに視界の開けたヘッドバンドを着用している。顔が隠されていないだけに、その整った顔立ちが嫌でも目に入ってきてしまう。
十数年経つというのに色あせないどころか、いや増した美貌に引き込まれ、ゴルベーザは一度送った視線をしばらく外すことができなかった。
月にいる間も、思い出すのはカインのことだった。身に着けているものは変わっても、その触れ難いような美しい顔立ちは、しなやかな体つきは、最後に見た時とほとんど変わっていない。
どれほどの間夢見ただろう。この髪を。この瞳を、頬を、唇を。だが、触れることは決して許されない以上、夢の中でもうつつでも変わりはないとも思える。
愛している。
愛している。
愛している。
お前をこの手に抱きたい。唇を重ね、指に絡むその髪を感じたい。だが、そんなことはできるはずもない。わかっている。
「……なぜそんなにも俺を見る？」
金色の髪の美しい生き物が、訝しげな顔つきでゴルベーザを見ていた。
「なぜ、だと？」
ゴルベーザは、カインに注いでいた視線をようやくほんの少しだけ逸らした。
「カイン。お前のその……姿は、一体」
何かを察知したのか、或いは子供の無邪気なお節介さからか、セオドアがゴルベーザとカインの間に割って入った。
「カインさんは聖竜騎士になったんです」
なるほど。それで眩しいのか。ますます手が届かなくなったように思う。本当の意味でカインに手が届いたことなど、これまで一度もありはしなかったが。
「あなたは――父さんの……」
セオドアは、少し警戒するような目つきでゴルベーザを見上げた。
「ああ。そう名乗ることすら憚られるが。お前にとっては、伯父になるか」
セオドア。セシルとローザの息子。悪意にとりつかれていた状態のセシルとは言え、父に剣を向けてカインを守ろうとしたあの姿には、何やら特別なものを感じた。
信頼。敬意。いやもっと強いものを。
「父さんがおかしくなってから――僕はずっと、カインさんと旅をしてきました」
セシルによく似た髪と、セシルとローザの両方に似た顔立ちを持った少年は、強いまなざしでゴルベーザを見つめた。
「カインさんに、あまり近づきすぎないでください。お願いです」
ゴルベーザは、セオドアの真剣な顔つきをただ黙って見下ろした。
「昔、どんなことがあったのか、文献で読んで知っています。町の人の昔語りでも」
ああ。それを心配しているのか。
ゴルベーザはゆっくりと息を吸う。
言われるまでもない。かつて、カインの心を術で縛りつけ、自分のいいようにしていたという事実は、拭い去りがたい。
「セオドア。俺はもう正気だ」
なだめるつもりなのか、カインがセオドアの肩に手を置いてそう言った。
「親しいのだな」
ゴルベーザがそう言うと、セオドアは顎を引いた。
「ええ。カインさんのことは、あなたより知っています」
もしかしてお前もそうなのか。
思い浮かんだそれを尋ねるための言葉が、その時のゴルベーザにはなかった。たとえ今ここでそれを尋ねたところで、セオドアが認めるはずもない。
だから、心の中だけで尋ねた。
セオドア、お前もカインを愛しているのか。
だが、カインの心はローザのものだ。昔も、今も、変わることなくカインはローザを愛している。
カインが手に入らないとわかっていて、それでも正気でいられるのか。心は手に入らないが、身体だけなら手に入る状況になった時、欲しいと思わずにいられるのか。
「……」
視線を感じ、顔を向けると、カインがゴルベーザをじっと見ていた。
「……考えたこともなかったが、今こうして見ると、やはり少し、セオドアに似ている。血のつながりというのは不思議なものだな」
「そうだろうな……」
ゴルベーザは低い声でそう答えた。
似ているはずだ。
ゴルベーザもセオドアも、同じ目でカインを見つめている。
細い身体を押さえつけ、自分の胸に掻き抱いて口づけたい。絹のような髪を撫で、その肩を抱き寄せたい。
セオドアは子供だから、そこまでの欲望はないかもしれないが、このまま長じてしまえば、或いは。
「それにしても、月に持ちされれたクリスタルを取り戻すには、どうすれば――」
「ああ……」
言われてはっと我に返り、ゴルベーザは自嘲の笑みを浮かべた。カインに心を囚われて、本来の目的を見失うところだった。
「まだ、手はある」
ゴルベーザはそう言って、左手を高く上げた。自らの乗ってきた魔導船がバロン城へ呼び寄せられ、じきに城下町の側に着陸した。